世界的ピアニストであった父レオ・シロタとともにベアテは5歳から10年間を日本で過ごしその後ロサンゼルスに留学、第二次世界大戦でシロタ一家は引き裂かれてしまった両親に会うためにGHQ民生局の一員として再来日。そこで6ヶ国語が堪能な22歳のベアテは日本国憲法草案委員会にただ一人の女性として参加し、人権をうたった第14条と第24条の男女平等を日本国憲法に残した。ベアテがこの条文を残すことに情熱を注いだのは日本に暮らした生活の中で、日本女性の地位の低さと人権の欠如を良く知っていたからだ、。驚いたことにアメリカの憲法にも「男女平等」の項はない。
ベアテのくれたそのプレゼントは戦後の日本女性の社会進出にとって大きな力を与え、1946年には女性が初の選挙権を行使し39名の女性議員が出現、更に労働省が発足して婦人少年局が置かれ、山川菊栄が初代局長になった。法曹界にも女性の判事や検事が徐々に生まれ、館長にも女性の管理職が誕生し、第14条にうたわれた性別による差別の撤廃と第24条による家父長制の廃止が、女性の法的人権を確立させた。
たった一人の女性の思いと行動が日本の歴史を変えた。はじまりはいつもひとり!あらゆる場にいる一人ひとりがあきらめずに行動し続ける時、社会が変わる!
いま憲法は改正の荒波の中で漂っている。もう一度憲法をきちんと学んでみたい!とあらためて思う。
第十四条 【法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界】
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。
第二十四条 【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。